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全英オープンのお話|2022年版

Introduction
全英オープン 第一回大会は 1860年にまで遡るが 世界で最も歴史のある ゴルフ・トーナメントだ。その正式英語名は The Open Championship また 単に The Open と略されることもあるが イギリス以外では British Open と言われるのが一般的。例えば、アメリカで The Open と言った場合は 全米オープンと考える人もいるからだが 全米オープンより 35年も長い歴史を持つ 全英オープンを The Open と呼ぶのは(当事者の立場からは)当然なことなのかも知れない。なお、2022年大会は St. Andrews Old Course に於いて 7/14 〜 7/17 の日程で開催された。» 公式サイト

2022年大会コース

150回目の節目の大会となる 2022年は St. Andrews Old Course で開催された。このコースは Old Lady とか Grand Old Lady とも呼ばれるが 世界最古のゴルフコースだと言われている。1895年に このコースの横に New Course が造られてオープンして以来 このコースは Old Course と呼ばれるようになった。パブリック・コースであるが、このファースト・ティーの横には R&A のクラブハウスもあり 当に ゴルフの聖地と言える所である。

2022年大会のコース設定は Out = 3,599Y / In = 3,714Y の 7,313 ヤード・パー 72 という設定だが、ティーの位置とピン・ポジションで 距離は 毎日 少し異なるものになる。日本人は、松山英樹、今平周吾、比嘉一貴、金谷拓実、桂川有人、中島啓太(アマチュア)の 6選手が出場した。
St. Andrews Old Course Yardage

大会の見所、優勝賞金など

全英オープンは 所謂 伝統的なスコットランドと イングランドのシーサイド・リンクス(海岸縁)のコースで行われる点で 他のメジャーとは 一線を画している訳だが 特に 強風の中でのプレー、ポットバンカー (深いバンカー) やフェスキュー (膝くらいまである細く長い草) などへの対応、そして、アンジュレーションの大きなフェアウェイやグーリーンでボールを転がしてピンに寄せる技などが要求される点など 他のメジャー・トーナメントとは 一味も 二味も違った ゲーム展開となるところが見所である。

Claret Jug全英の大会優勝者には クラレット・ジャグ|Claret Jug と呼ばれる優勝トロフィーのレプリカが贈られ オリジナルのトロフィーには 優勝者の名が刻印される。最初の名前は 1872年優勝のトム・モリス・ジュニアであり、当に ゴルフの歴史に その名を永久に残すことになる。優勝賞金総額は 伝統的に 他のメジャー大会とほぼ同額で 2021年大会の賞金総額は 1150万ドルである。ただし、1860年 ~ 1871年は 優勝賞金はなく 名誉のチャレンジ・ベルトを優勝者が預かるという形式で行われ 3年連続して優勝すると そのベルトが優勝者のものになった。因みに、トム・モリス・ジュニア (Tom Morris Jr.) は 1868年から 1872年の 4大会連続優勝という快挙を成し遂げた。

全英オープンの最多優勝経験者は ハリー・バードン (Harry Vardon) で 6回、次いで、ジェィムズ・ブレイド (James Braid)、ピーター・トムソン (Peter Thomson)、トム・ワトソン (Tom Watson) の 5回である。次いで、4回に ウィリー・パーク (Willie Park)、トム・モリス (Tom Morris Jr.)、ウォルター・へーガン (Walter Hagen)、ボビー・ロック (Bobby Locke)、さらに、有名な選手には 3回の優勝を果たしている トム・モリス (Tom Morris Sr.) や ボビー・ジョーンズ (Bobby Jones) などがいる。なお、バイロン・ネルソン (Byron Nelson) は 全英オープンに勝つことができずに グランドスラムを達成することができなかった。因みに、タイガー・ウッズは 2000年、2005年、2006年と 3回の優勝を果たしている。» メージャー優勝者の記録

大会の歴史

第一回大会は 1860年に プレストウィック|Prestwick Golf Club で行われたが 参加選手は 僅か 8名、12ホールのコースを 3ラウンド、36ホールのメダル・プレー(トータルのストローク数で競う形式)であったが それが近代競技ゴルフの始まりであったとも言える。その第一回大会は 初日 (10/17/1860) で 優勝候補のトム・モリス (Tom Morris Sr.) に 3打差をつけた ウィリー・パーク (Willie Park) がリードをキープして 2打差のトータル 174 というスコアで優勝した。1871年大会は 戦争で中止されたが 1872年までの 12回の大会は 全て プレストウィックで開催され 当時は ウィリー・パークとトム・モリス親子の 3人が 圧倒的な強さを見せた時代だった。なお、近年、プレストウィックで全英オープンは 行われていない。

1873年の大会は 初めて セント・アンドリュース|St. Andrews で開催されたが プレストウィック以外のコースでの大会開催は それが初めてのことだった。しかし、それ以降は プレストウィック、セント・アンドリュース、ミュセルバーグ|Musselburgh の 3コースの持ち回りで行われるようになり 更に その後 1892年に ミュアフィールド|Muirfield、1894年に ロイヤル・セント・ジョージ|Royal St. George's、1897年に ロイヤル・リバプール|Royal Liverpool などが それに加わるようになった。そして、1920年以降は The Royal and Ancient Golf Club 即ち R&A が大会の管理・運営を行うようになった。

“セントアンドリュース”
セントアンドリュースのポスター (AllPosters)

ジャック・ニクラウス紙幣その後 幾つかのコースが このローテーションに加わるようになる一方で プレストウィックや ミュセルバーグなどは このローテーションから外れ 現在では スコットランドと イングランドにある 以下の 9コースが持ち回りで 全英オープンをホストするようになった。1) ~ 5) は スコットランドのコースであるが セント・アンドリュースのオールド・コースは 特別で 0 と 5 の年 つまり 5年に 1度の頻度で(他のコースは 10年に 1度)大会をホストすることになっていた。なお、2005年に ジャック・ニクラウスの引退試合が セント・アンドリュースで行われた時に スコットランド銀行が 5ポンドのニクラウスの記念紙幣を発行したのは 有名な話である。 » 詳細

持ち回り 開催コース

英国では 会員を男性に限定してきた コースが多かったが (セント・アンドリュースや ミュアフィールドなど) そうしたコースが 大会持ち回りのコースに 相応しくないという世論もあり 騒動になったこともあった。しかし、近年は どこも女性会員を受け入れるようになり 現在のローテーションは 以下の通り。

全英オープン 持ち回り 開催コース
1) セント・アンドリュース・オールド・コース
2) カーヌースティー
3) ミュアフィールド
4) ターンベリー
5) ロイヤル・トゥルーン
6) ロイヤル・セント・ジョージ
7) ロイヤル・バークデール
8) ロイヤル・ライサム・アンド・セント・アンズ
9) ロイヤル・リバプール|ホイレイク

追記事項

前述のように セント・アンドリュースのオールド・コースは 特別なコースで 0 と 5 の年に大会をホストしてきたが 2020年大会がコロナで中止になったため 最後に 大会が行われたのは 2015年 144回大会であった。2022年大会は その伝統を変えて セント・アンドリュースで行うことになるがオールド・コースでの開催は これで 30回目になる。前回のコースは 下のような パー 3 が 2 ホール、パー 5 が 2 ホールの 7,297ヤード、パー 72 のコース設定であった。ご存知の方も少なくないと思うが 9番のグリーンがクラブ・ハウスから最も離れた所にあり 2番から 8番ホールまで(そして 10番から 17番まで)がダブル・グリーンになっている。

“セント・アンドリュース”
1 2 3 4 5 6 7 8 9 Out
375 452 398 480 570 414 371 174 352 3,586
4 4 4 4 5 4 4 3 4 36
10 11 12 13 14 15 16 17 18 In
386 174 348 465 614 455 418 495 356 3,711
4 3 4 4 5 4 4 4 4 36
St. Andrews Old Course (2015 The Open)

少し古い話になるが 2009年に ターンベリー (Turnberry) で行われた全英オープンでは 当時 59歳(60歳に 2ヶ月)のトム・ワトソン (Tom Watson) が 2 アンダーで 72ホールを ホールアウトし 同スコアで 先にホールアウトし 最終的に 優勝した スチュアート・シンク (Stewart Cink) とのプレーオフになった。トム・ワトソンが 最終日に 1打リードして迎えた 最終 18番ホールで出してしまった痛恨のボギーは まさに そのセカンド・ショットで起きた神の悪戯とも言える ラブ・オブ・ザ・グリーン (rub of the green) の結果だったと言えよう。 » トム・ワトソンの記録

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