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マスターズのお話 (2012年度版)
 
マスターズマスターズ (Masters) は アメリカ・ジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ (Augusta National Golf Club) で開かれる 四大メージャー・トーナメントの一つで 毎年 アゼリアの花が咲き乱れる 四月の上旬 (2012年は 4/5 - 4/8) に開催される。出場選手には 世界各地のツアーから ランキング上位者や 歴代マスターズ優勝者のほか、全米アマのファイナリスト、全英アマ、全米アマ・パブリック・リンクス、全米ミッド・アマ、アジア・アマの優勝者など アマチュア選手も招待される。毎年 同じコースで行われる唯一のメージャー・トーナメントであり、また、シーズンの幕開けを告げるトーナメントとして 独特な雰囲気があることからも 人気が高く、観戦用のチケット入手も 大変困難になっている。

2012年の大会は 最終日の 2番ホールでアルバトロスを出して一気に首位に立ち 最後まで リードをキープするかと思われた ルイ・ウーストハイゼン (Louis Oosthuizen) に 16番ホールで追いついた ババ・ワトソン (Bubba Watson) が プレーオフの 2 ホール目となった 10番ホールでトラブルになったが、そこからの ミラクル・ショットで ピン傍に寄せるセカンド・ショットを放ち、見事 優勝した。» メージャー優勝者の記録

日本人選手は 石川遼、池田勇太、藤田寛之、松山英樹 (アマ) の 計 4選手が出場し、アジア・アマ・チャンピョンの資格で出場した松山英樹選手が -1/T27 の成績でベスト・アマという快挙を成し遂げ、石川遼選手も -3/T20 と まずまずの成績を残した。一方、2012年の大会に出場する日本人選手は この二人のみとなった。

マスターズは 球聖・ボビー・ジョーンズにより 企画され 始まったトーナメントとして良く知られているが 1934年の第 1 回大会から最初の 5年間は Augusta National Invitation という名前で開催されており、現在のマスターズ (Masters) と言う名称に変わったのは 1939年の第 6 回大会からのことである。このトーナメントを ジョーンズと一緒に企画した クリフォード・ロバーツ (Clifford Roberts) が 世界中の名手 「マスター」 だけが出場できるトーナメントという意味で The Masters Tournament と提案したものの、当初 ボビー・ジョーンズが その名前は ちょっと 生意気過ぎる (too presumptuous) といって嫌ったためであると言われている。ボビー・ジョーンズの奥ゆかしさがゆえのスタートであるが、その後は 当に その名 "The Masters" に相応しいトーナメントになった訳だ。 » マスターズ・オフィシャルサイト

オーガスタ・ナショナルは 過去に何度か コースの距離を 延長してきたが、2006年に 現在の 7,445 ヤードのコースになった。1997年大会で タイガー・ウッズが 2位に 12 打差の -18 (270) という記録で優勝した年は 全長 6,925 ヤード。2000年には それが 6,985ヤード、そして、2001年から 2005年の間は 7,270 - 7,290 ヤードという距離設定であった。毎年、90人前後の選手が招待され、18ホール (Par 72) を 4日間 (通常、予選を通過する選手は 45人前後) 72ホールのストローク・プレーで争うもので、プレーオフは サドンデス方式だ。

マスターズ
 

1
2
3
4
5
6
7
8
9
Out
445
575
350
240
455
180
450
570
460
3,725
4
5
4
3
4
3
4
5
4
36
                   
10
11
12
13
14
15
16
17
18
In
495
505
155
510
440
530
170
440
465
3,710
4
4
3
5
4
5
3
4
4
36
 
--- Amen Corner ---

         
7,445 yards
(Par 72)

コースは バミューダ芝のフェアウェイとラフに ベント芝のグリーンという組合せだ。ラフは 他のメージャー・トーナメントと異なり短いが、もともとバミューダ芝のグリーンを ほぼそのままのアンジュレーションでベント芝の超高速グリーンにした訳だから パットが難しい。そして、それを如何に制するかが成功の鍵を握ることになる。ピンに対してどこにボールを乗せて行くか、その為に、フェアウェイのどこにボールを落とすかという発想でプレーをする必要があると言われている。2メートルのパットでも悪い方向からのパットであれば入らないばかりか 3パットにもなり兼ねない。オーガスタのグリーンには 「魔女」 が棲むと言われる由縁である。

マスターズの見どころは 何と言っても 11番・12番・13番の 3ホールの、所謂、アーメン・コーナー (Amen Corner) から始まる。インの最初の長いパー 4 (Camellia) に続く 11番のパー 4 (White Dogwood) が アーメン・コーナー最初のホールだ。さらに、ホーガン・ブリッジで有名な短い池越えのパー 3 (Golden Bell)、そして、グリーン手前のクリーク (Rae's Creek) 越えの短いパー 5 の 13番ホール (Azalea) へと続くが、この 3ホールがコースの丘になった高台にあり 風が強いことも多く、スコアを伸ばせる選手とスコアを崩してしまう選手の明暗が分かれるところである。 » アーメン・コーナーのお話

そして、アーメン・コーナーが終われば 最後の 5 ホールは見ている者に息もつかせぬラスト・スパートという展開だ。14番ホール (Chinese Fir) は オーガスタで唯一バンカーのないホールだが 最も起伏の激しいグリーンが待っている。そして、15番 (Firethorn) は 2 オンが狙える 530ヤード池越えのパー 5。16番 (Red Bud) は 池越えのパー3 で、そのグリーンは激しく右から左へと傾斜しており、毎年最終日には グリーン左奥にカップが切られる。2005年の最終日に カップ手前で止まるかと思われたタイガー・ウッズのチップショットが最後にナイキのロゴを見せながら一転がりして入ったシーンを覚えている人は少なくないだろう。続く 17番 (Nandina) は フェアウェイ左中央のアイゼンハワー・ツリーで知られる 440ヤードのパー4 である。かつて、メンバーだったアイゼンハワー大統領が良く打ち込んだ木だそうだ。そして、フィニッシィング・ホール (Holly) は 大きく右にドッグレッグした登りのパー 4 だが、優勝を狙うプレーヤーにとって フェアウェイ左の二つのバンカーと右の林にプロテクトされたこのホールのティーショットは、針の穴にボールを通すような思いだろう。 » コース詳細

Sarazen が使用したクラブまた、第ニ回大会では ジーン・サラゼン (Gene Sarazen) が この 15番のパー 5 で アルバトロスを出した。ニ打目 235ヤードを バッフィーでホールアウトした (アルバトロスの) 1打は 世界に轟き渡ったショット (the shot heard around the world) として後世に語り継がれている。サラゼンは 最終日に このショットもあって 1位タイに追いつき、翌日の 36ホールのプレーオフで優勝を飾った訳だ。また、1943年、1944年、1945年と戦争のために トーナメントは中止されたが、その前年の 1942年には バイロン・ネルソンがベン・ホーガンを プレーオフの死闘 (69-70) の末に下し、優勝したという記録もある。

マスターズの最多優勝経験者は ジャック・ニクラス (Jack Nicklaus) で 6回。次いで、アーノルド・パーマー (Arnold Palmer) とタイガー・ウッズの 4回である。因みに、タイガー・ウッズは 29歳 3ヶ月 で 4度目の優勝を果たしており、ジャック・ニクラスが 4回目の優勝を果たした 32歳よりも早くその記録を達成したことになる。 » メージャー優勝者の記録

なお、2010年のマスターズ最終日は 前述のように 3日目を終わって -12 で 1位の リー・ウェストウッド (Lee Westwood) に 1打差の フィル・ミケルソン (Phil Mickelson) が接戦を制して優勝したが、この大会で ミケルソンは 3日目に 13番、14番ホールで連続イーグルを出し、15番ホールでは あわや 3連続イーグル が出るかという場面もあった。 » イーグルの話

一方、2009年は、常時リードをキープしたケニー・ペリー (Kenny Perry) が、ラスト 2ホールを ボギー、ボギーとし、最終的には、K. ペリー、A. カブレラ (Angel Cabrera)、C. キャンベル (Chad Campbell) の三人によるサドン・デスのプレーオフとなった。プレーオフ 最初のホール (18番) で まず C. キャンベルが脱落し、2ホール目 (10番)では、K. ペリーが パーパットをはずし、A. カブレラに優勝が転がり込むという結末となった。17番をボギーとした K. ペリー は、その後 リズムを大きく崩し、殆ど 手中に収めたと思われたグリーン・ジャケットを手にすることが 出来なかった。