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全米オープンのお話
 
 
毎年 6月中旬に行われる全米オープン (United Staes Open 俗称 U.S. Open) は 世界四大ゴルフトーナメント、所謂、メージャー大会の中でも コース設定が 最も 厳しいトーナメントとして知られている。因みに、雨が降ってグリーンが柔らかくなった 2009年の優勝スコアは -4 とアンダー・パーであったが、'06、07年大会の優勝スコアは 共に +5 という ハイスコアになっている。

コース設定は 大会に依って異なるが、フェアウェイ横のファースト・カット (インターミーディエット・ラフとも言う) の芝が 1.5 インチ (1インチは 約 2.5センチ) その外 10-12フィート (約 4ヤード) が プライマリー・ラフになり その深さが 3-4インチ、さらに その外が セコンダリー・ラフで 6インチという設定になることもある。(右のラフの写真は 06年の全米オープン、ニューヨーク郊外にある ウィングドフット C.C. のもの)  

2010年の全米オープンは サンフランシスコから南に 2時間ほどドライブした太平洋岸沿いにある ぺブル・ビーチ (Pebble Beach Golf Links) で 6/17 - 6/20 に開催された。コースは 前回 2000年大会の設定より 250ヤード長い 7,040 ヤード (Par 71) だが、全米オープンのコースとしては 比較的 短いものだ。一方、ラフはベントとポアナの混合で深くなるが ウィングドフットのような深さの設定ではない。しかし、海岸沿いのコース独特の海風が コースの難易度を高めるもので、グリーンは 硬くて早くなるから、風が強くなればその難易度は一気に高くなる。また、グリーンは ポアナの影響で ややスムースさを欠くにも係わらず スピードは 速くなるから、自然と 短いパットを外すことも多くなる。 US OPEN コース設定 (公式サイト)

 
Hole
Yard
Par
1
380
4
2
502
4
3
404
4
4
331
4
5
195
3
6
523
5
7
109
3
8
428
4
9
505
4
Out
3,377
35
 
Hole
Yard
Par
10
495
4
11
390
4
12
202
3
13
445
4
14
580
5
15
397
4
16
403
4
17
208
3
18
543
5
In
3,663
36
Pebble Beach (2010 U.S. Open Setting)

ぺブルビーチ

結局、2010年の全米オープンは 最終日が強風下の難しいコンディションとなった。その日を (-6) 単独首位でスタートした ダスティン・ジョンソン (Dustin Johnson) が 序盤からつまづき 優勝争いから脱落したが、代わってトップに立ち 優勝を果たしたのが (-3) 単独 2位からスタートし、この日を +3 で プレーし、トータル・スコアを イーブン・パーとした 北アイルランド (英) のグレーム・マクドウェル (Graeme McDowell) であった。日本からは 石川遼 (33T)、池田勇太 (58T)、藤田寛之 (58T)、谷口徹 (63T)、横尾要、矢野東の 6選手が出場した。ぺブルビーチでの 全米オープン開催は これで 5度目となったが、過去の優勝者には ジャック・ニクラウス (1972年)、トム・ワトソン (1982年)、トム・カイト (1992年)、タイガー・ウッズ (2000年) といった選手が居る。

一方、ニューヨーク郊外のロングアイランドにあるべスページ州立公園 (Bethpage State Park) のパブリック・ゴルフコース Bethpage Black Course で行われた 2009年の全米オープンは 地区予選を勝ち抜いて本選に出場した 無名のルーカス・グローバー (Lucas Glover) が、雨で日程の延期されたトーナメントを 2位の フィル・ミケルソン と デービッド・デュバル に 2打差を付けて優勝した。彼は 2005年の Disney Golf Classic で一度優勝していたものの、毎年、トップ 10 に入るトーナメントが 年に数回ある程度の選手だった。また、デービッド・デュバルが 2位タイという成績を収めたこともニュースになった。

全米オープン出場資格

全米オープン本戦への出場資格は ツアープロの場合、賞金獲得額や世界ランキングなど USGA が定めた項目のパフォーマンス (例えば、メージャー優勝経験やライダーカップ、プレジデントカップなど大きな国際競技への出場経験など) をベースに その基準を満たしているものに出場資格が与えられる。2010年には そのフィールド 156人に対して、63人の選手 (日本人では 石川遼、池田勇太選手の二人) に Full Exemption による出場資格が与えられている。

一方、アマチュアのトーナメントで完全なシード権が獲得できる大会は、USGA が主催している全米アマだけである。また、以上の出場資格を有しない選手のために、規定の公式ハンディキャップの条件を満たせば (USGA HC Index 1.4 以下) 誰でも参加できる予選が行われるから、文字通りの オープン選手権であるが、近年は 7,000 - 8,000人のゴルファーが この一次予選 (Local Qualifying) に参加している。

一次予選を通過した人と一次予選を通過する必要のない資格 (Local Exemption と言う) を持ったツアープロやトップアマの選手などが さらに Sectional Qualifying と呼ばれる二次予選を戦い その上位数名が本戦への参加資格を獲得する仕組みである。

例えば、二次予選に出場出来る資格 Local Exemption は、過去の全米アマに優勝した全ての選手が (アマチュアである限り) 有する。さらに、前年度の全米アマの準々決勝出場選手にも与えられる。また、全英アマ、全米ミッドアマ、全米アマパブリックリンクス、全米ジュニアアマの過去 3年間の優勝者 (アマチュアに限る) と前年度の全米シニア・アマ、全米大学選手権などの優勝者にも 二次予選への出場権が与えられる。

二次予選は 米国の 12箇所とヨーロッパ (英国)、日本のそれぞれ 1箇所ずつの 合計 14箇所で行われ、約 750人の選手が この二次予選をプレーし、最終的に本戦に出場出来る 156人が決定する。因みに、2005年に優勝をしたマイク・キャンベル (Michael Campbell) は、英国で行われた予選に出場し 出場資格を獲得しての参加であった。なお、2010年の日本予選を勝ち残った選手は、藤田寛之、谷口徹、ポール・シーハン、横尾要、矢野東選手の 5選手だった。 US OPEN 公式サイト

歴史

全米オープンの第一回大会は 1895年 10月 4日に ロードアイランド州 (ボストンの南) のニューポート G. C. (Newport Golf & Country Club) で開催されたが、その時の参加者は 僅かに 11名だった。36ホールのストロークプレーを一日で行ったもので、まだ、ガッタ・パルチャのボールを使っていた時代であるが、その優勝者は ホーレス・ローリンズ (Horace Rawlins) という英国人のプロで 91, 82 のトータル 173 というスコアだった。ローリンズは 優勝賞金として 150ドルと金製のメダルを獲得した。その時の賞金総額は 335ドルであったが 現在の賞金総額 700万ドル、優勝賞金 140万ドルという規模とは 比べ物にならないものであった訳だ。

初期の全米オープン優勝者は すべて英国人や英国から米国に移民した人達であったことからも分かるように、全米オープンが始まった当時の米国のゴルフのレベルは英国に見劣りするものであった。初めて 米国生まれの米国人が優勝したのは 第一回大会が開かれた年から 16年後の 1911年だったが、その年に優勝したジョン・マクダーモット (John J. McDermott) は 翌年 1912年の大会にも優勝している。

その後、米国でのゴルフ人口は急増し、そのレベルは 急速に 英国のそれに近づいた。その象徴とも言える米国生まれの偉大なゴルファーが ボビー・ジョーンズで、彼は 1923、1926、1929、1930年の全米オープンに優勝しているばかりか、1926、1927、1930年の全英オープンにも優勝した。しかも、彼は 生涯 アマチュア・プレーヤーとして競技に参加し、全米アマ、全英アマのタイトルも獲得し、当時のグランドスラムを達成した唯一のゴルファーであった。

全米オープンの最多優勝記録は 4回で、ボビー・ジョーンズの他にも 3人 (Willie Anderson, Ben Hogan, Jack Nicklaus) が それを達成している。次いで、タイガー・ウッズが 3回の優勝を果たしている。その他に 比較的 近年の大会で複数回 (それぞれ 2回) 優勝しているプレーヤーには、アーニー・エルス、ルティーフ・グーセン、リー・ジャンセン、カーティス・ストレインジ、ヘール・アーウィン、リー・トレビノ、そして、若くして飛行機事故で亡くなった ペイン・スチュアートなどが居る。 メージャー優勝者記録とグランドスラムの記録

全米オープンを制したアマチュア・プレーヤーは 過去に 計 5人居るが、最後にアマチュアが優勝したのは 1933年のことで (John Goodman という選手) 75年間、アマチュアの優勝者は出ていない。ボビー・ジョーンズの他で 良く知られているアマチュア優勝者の中には、近年映画にもなった The Greatest Game Ever Played (邦題・グレイテスト・ゲーム) で紹介されている フランシス・オウィメット (Francis Ouimet - 1913年大会で 当時 20歳) も居る。 ボストン郊外の The Country Club で開催された第 19回大会で、彼は無名の地元プレーヤーとして 当時 飛ぶ鳥を落とす勢いだった 英国のハリー・バードンをプレーオフの末破って優勝した。 映画 (DVD) に興味のある方は、こちら。