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東京オリンピックのゴルフ会場

Introduction
モチベーション (motivation) は 何かをする意欲の源泉になる 動機 (motive) もしくは それが生じている心理状態のことで パフォーマンス (performance) に直結するものだから スポーツ、教育、経営などの世界では モチベーションをどう高めるかについて しばしば論議される。ここでは そんなモチベーションについて ゴルフを楽しむ、人生を楽しむという観点から色々と考察することにしたい。

霞ヶ関反対、若洲支持の理由

この問題が マスコミに取り上げられ 急浮上する前から 霞ヶ関 C.C. に異を唱えてきたのは 日本ゴルフ改革会議 (JGC) というグループで 東京都が保有する 若洲 ゴルフリンクス(東京都江東区)への再考を訴え 都内の日本外国特派員協会で会見するなどの活動を行ってきた。同グループは 前述のような差別的とも言える 霞ヶ関の会則に加え、五輪後のレガシー性、選手村からの距離(70km vs 6km)に伴う莫大な輸送費の発生、夏の酷暑の問題などを 若洲支持、霞が関反対の理由に挙げている。一理ある主張ではある。

ところで、霞が関カンツリー倶楽部には 正会員に女性がなれない会則はあるが 女性がプレー出来ない訳ではなく 正会員しかプレーできない日曜日には 結果的に 女性がプレーを出来ないと言うことだ。また、クラブの名称が カントリーでなく カンツリーとなっているが 戦前からあるクラブの名称は カンツリーと記すのが普通である。なお、同クラブは 地元の自治体や体育協会などが主催する 健康・体育・文化事業と連携して コースを開放するなど 一定の社会貢献にも配慮した運営がなされており 評価されるべき点も多々ある。

求められるゴルフコースの資質

ゴルフの特異性は 野球、サッカー、バスケットボール、バレー、水泳、柔道など 多くのスポーツが決められたサイズの競技場や コートで行われるのに対し、ゴルフコースと言う 一つ一つの競技場の姿、形が大きく異なるフィールドで行われることにある。そして、世界 トップクラスのゴルファーが集って プレーをするとなると それに相応しい ゴルフコースの資質(難易度、観客収容力、風格など)が 当然 求められる。例えば、世界レベルのアルペンスキーの大滑降競技に求められる難易度があるように、ゴルフコースにも それなりの難易度が必要になる。世界レベルのプレーヤーの力と技の優劣を比べることが困難なゴルフコースでは ある意味 本当の競技が成り立たない可能性もある。若洲 ゴルフリンクスなどを使用する場合は それを改造して どこまでのことが出来るかなど 専門家の意見を十分に聞く必要がある。

差別を禁じた五輪憲章

五輪憲章には 素晴らしいことが沢山記されているが、その中の一つに次のような記載がある。「オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。」

そもそも、いかなる差別とは 一体 どのように定義されるべきものだろうか。不当な理由をベースに 個人 または グループに対し 他とは 異なる取扱いをすること。そんな説明になるかも知れないが、どんな社会でも 女性と男性の違いを認め それぞれが異なる役割を担うことを前提とした文化や制度が存在している。男性が女性に優しくしたり、女性が女性らしく振舞うことなどは(そうは思わない人も居るだろうが)美しいことである。そして、良きにつけ 悪しきにつけ 伝統的に 男性中心、女性中心に行われることも生まれた。男性だけ また 女性だけ的な発想や願望が社会の成り立ちに大きな影響を与えたのは 間違いのないことだ。そうした中で、職場や家庭で 男性の役割を担う男たちが 女性が居ない一時と空間を求め それが出来る場所を作ったのかも知れないが、そうした結果を女性差別と呼ぶのは 行き過ぎたことのようにも思える。

昨今の欧米の潮流は 差別と考えられるものであれば何でも 悪のレッテルを張る。思想的なマイノリティーを許さない風潮がある。女性と男性が その文化や慣習に則って 役割分担することは 見方によっては 差別である。その国や地域の人間の大部分が 何の疑問もなく受け入れていることさえ 部外者である人間にとって差別に見えれば それが差別であることを知らしめる努力を払う。それが 先進国であり 文化水準の高い国の知識人としての責務とでも考えているようである。そんな行き過ぎとも言える理想主義が生む不幸があることにも目を向けて欲しいものだ。例えば、イスラム諸国と どのように共存し 平和な社会を作っていくのか。差別が全て悪と主張していたのでは 真の友情や連帯は 生まれない。互いに その違いを認め、相互に理解しあう努力が大切なはずだ。

女性会員を受け入れないクラブ

何度も全英オープンをホストしてきたスコットランドの名門 ミュアフィールドは 女性差別のクラブのそしりを受け、2016年に 女性メンバーを受け入れるか否かでメンバー投票を行った。その結果は 僅差であったが 男性オンリーのクラブを守る決定であったために 将来の全英オープン開催コースの資格を失った。一方、そのオールドコースで知られる セント・アンドリュースは 2015年に 同様の投票を行い、女性にも会員資格が与えられて アン王女やアニカ・ソレンスタムらが会員になっている。

かつて、マスターズで知られる オーガスタ・ナショナル G.C. は その女性蔑視的な運営が問題になった時期があったが、2012年に ジョージ・ブッシュ政権下で 国家安全保障問題担当 大統領補佐官、国務長官などを歴任した 黒人女性 コンドリーザ・ライス (Condoleezza Rice) と サウスカロライナ州出身の財界人で 投資会社 レインウォーターのパートナー(同社創設者婦人)という肩書きのダーラ・ムーア (Darla Moore) という女性がメンバーに加わった。晴れて 2人の女性メンバーが加わったことで 状況が改善され 対外的な問題は 一応 解決されたが 将来 どれくらいの女性メンバーがオーガスタ・ナショナルに加わるかは 不透明で その男性中心のクラブという本質が変わるか 否かは 定かでない。なお、オーガスタ・ナショナルは インビテーション・オンリーで 会員を募っているクラブで 会則に メンバーの資質に人種のことは勿論のこと、性別についての規定を設けたこともない。いずれにせよ、2人の女性メンバーが加わったことを どう評価するかは 意見の分かれるところだろう。

世界中に女性会員を受け入れない 所謂 名門クラブが沢山あるのは 事実で それが女性差別撤廃、反差別活動のターゲットになっているようだが、それによって 少人数の女性メンバーを受け入れるクラブが増えて行くことで 世の中は 少しづつ変わって行くのだろうか。とは言え、プライベート・クラブのメンバーが その運営方針を自由に決めることが出来ない社会が好ましいと言えるのかは 疑問である。

大切なことは何か

差別をなくすために最大の努力を払うべきだと言う人も居るだろうが、ある小学校の運動会で「足が速いか遅いかで順位をつけるのは 差別だから みんなで手をつないで同時にゴールするようにしよう」という意見が出て その通りに 全員同時に ゴールさせたそうだ。そんな誤った差別に対する認識が この世の中に あるのも事実である。

そうした中、女性限定、男性限定のクラブは 本当に差別だろうか と言うことを もう一度問うてみたいし、オリンピックをするにあたって 本当に重要なことが 何なのかを もっと思慮深く考えてみたいものだ。理想ばかりを追っていたのでは 最善の結果は得られない。オリンピックをやる意味、その最大の使命は何かと言うことに もっと目を向けるべきだろう。複数の問題があり 全てを同時に解決するのが難しいし時は 優先順位を決めて 対応するのが当たり前のことである。今、大切なことは 何だろうか。

豊かな現代社会において 女性限定、男性限定のクラブのような様々な選択肢があることは むしろ 好ましいと言う考え方があっても良いと思う。色々な考え方の人が友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあう。そうした中で、女性限定、男性限定のクラブが共存共栄することは 何ら問題のないことのように思える。長い歴史に支えられた文化に根付いた制度や慣習に垣間見える差別的なルールを非難するのは簡単であるが、それによって何を変えたいのか。仮に、日本国民の大多数が 霞が関 C.C. の女性が正会員になれない会則を問題視しないのに IOC が それを問題視するのであれば、IOCの主張は 今後 どこの国にも サポートされないものになり兼ねないだろう。オリンピックに 人々が期待するものは 一体何なのか。理想も将来の展望もないオリンピックであってはならないが、現実を踏まえた上で 開催国の文化や慣習に敬意を払う姿勢がなければ 平和の祭典であるべきオリンピック本来の使命を果たすことは出来まい。

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