2008年 5月 11日、アメリカ・バージニア州・キングスミルで行われたミケロブ・ウルトラ・オープン (Michelob Ultra Open) の最終日を 66で回り、トータル 19アンダーという大会記録で 2位に 7打差を付け LPGA ツアー 72勝目 (今季 3勝目) を上げたアニカ・ソレンスタム (Annika Sorenstam) が、その 2日後の 5月 13日に 2008年のシーズンを最後に (残り 7試合をプレー後) 引退すると表明した。
2007年は 背骨のコンディション悪化による 2ヶ月間の戦線離脱というようなこともあり その 14年間の LPGA のキャリアの中でも 最も 低迷した一年となり、女王の座を
ロレーナ・オチョア選手 に奪われる形になったが、今期は 既に 3勝を上げ、再び 女王に返り咲くかも知れないと思われた矢先の出来事であっただけに 驚きの引退表明であった。しかし、その決意の内は 彼女のブログに 明らかにされているとおり、今後は プロゴルファーとして その 15シーズンのキャリアで築き上げたものの上に (なるべく 早い時期に始めたい) 新たな人生を展開して行きたいということである。その中には、結婚をして 子供の居る家庭を持ちたいという希望もあるようだ。
ANNIKA'S BLOG 引退表明
メージャー 10勝、LPGA
ツアー 72勝目をあげたアニカは、1970年 10月 9日生まれの 37歳。タイガーより年は
5歳以上年上であるが、タイガーのメージャー 13勝 (08年 5月 時点)、PGA ツアー 64勝の記録と肩を並べる記録を達成したと言っても過言でないだろう。
タイガーの記録
タイガーとは異なり アニカがゴルフを始めたのは比較的遅く 12歳の時のことである。それまでは
プロのテニスプレーヤーを目指す スポーツ少女で、かなりのレベルのジュニアテニスプレーヤーだったそうだ。スウェーデンのストックホルムの郊外で生まれ、そこで少女時代を過ごしたが、父親の仕事の都合で
3年間を イギリスで過ごすことになり、それが 彼女のゴルフ人生に大きな影響を与えたようだ。大学は、アメリカのアリゾナ大学
(University of Arizona) に 進学し、1991年には全米大学選手権 (NCAA)
のチャンピョンにもなっている。
プロへの転向は 1993年で、翌年には新人王 (Rookie of the Year) になっているが、全英女子オープン
2位タイが最高の成績で、最初のシーズンから優勝することは出来なかった。しかし、1995年の全米女子オープンで待望の初優勝を飾ってから徐々に頭角を現すことになる。1996年には、2年連続の全米女子オープン優勝を含む
ツアー 4勝を上げ、1998年には LPGA の歴史上初めての年間平均スコア 70 を切る
(69.99) 選手となった。また、2001年に年間 8勝、さらに、2002年には 年間 11勝という記録まで達成した。加えて、2003年には
LPGA 選手権、全英女子オープンに優勝し、史上 6人目のグランドスラマーになった。

その後も
アニカは数々の記録を打ち立ててきた。2004年には ツアー年間 8勝 (18戦) で 年間平均スコアを
68.70 を記録し、2005年にも 10勝 (20戦) という状況で、この時期には 何と 2回に
1回は 優勝すると言う圧倒的な強さを誇っていた。2006年は そうした過去の優勝ペースからするとスランプの年と言われていたが、それでも全米女子オープンまでの
10戦で優勝が 2回 (2位 2回) という成績だった。彼女の強さの秘訣は
技だけではなく、その精神力と考え方にあると言え、そのアニカの強さの秘密を知る鍵、
ゴルフの常識を打ち破る
「頭脳のレッスン書」 ゴルフ 54 ビジョンは、一読の価値がありそうだ。
アニカは 15シーズンのキャリアを通じて その強さを見せ、女子ゴルフのレベルと人気の向上に大きく貢献した。ロレーナ・オチョアほか、若手の強豪選手が多数出現する中、LPGA
は ポスト・アニカの時代に入ろうとしているが、2008年の残り 7試合で アニカには 有終の美を飾って欲しいものだ。